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アクバシュ・ヘーゼルナッツ果樹園の傾斜の急な丘では、機械による収穫が事実上不可能である。 湿気を多く含んだ黒海から流れ込む風が、湿度の高い状況を作り出し、ヘーゼルナッツの採れるセイヨウハシバミの木の栽培に理想的な地域となっている。 |
2500年前、古代ギリシャの司令官であったクセノフォン(Xenophon)は、帰国の長く厳しい旅の道中、トルコの黒海沿岸にあった現在のトラブゾンを見下ろせる山頂に立った。 それは、彼の叙事詩における最も劇的な瞬間となった。疲労困憊した10,000人の兵士があげた大歓声に、彼は心を動かされたことを記録している。兵士らは、「タラッサ!タラッサ!(海だ!海だ!)」と叫んだ。海は安全な帰路となる。 彼らがホームシックになっていなかったとしたら、海に注目する代わりに丘を覆う樹木に目を向けて、「ファンダック!ファンダック!」と叫び、腰を下ろしてしばしピクニックを楽しんだことだろう。ファンダックとはトルコ語でヘーゼルナッツを意味し、今日、英語の「フィルバート(ハシバミ)」という言葉となっている。
ギレスンやオルドゥの中部地方を包含するトルコ北東部のトラブゾンからサムスンに広がる地域は、ヘーゼルナッツ生産地として知られている。 この地域では、トルコのヘーゼルナッツ生産量の99%を産出している。トルコの生産量は、世界の生産量の75%を占め、年間生産量750,000トン、輸出額20億ドルという数字を叩き出している。 この莫大な数字は回りまわって、ヌテラスプレッドからイタリアンジェラード、プランターズのミックスナッツからゴディバのチョコレート(最近ではトルコの企業が同社を買収し、ボンボンのヘーゼルナッツ風味をより高めようとしている)まで、様々な形に変化を遂げる。
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毎年8月から9月にかけて、季節労働者、およびトルコの黒海沿岸に住む地元住人たちにより手でヘーゼルナッツの収穫が行われる。 ギレスンに近いゲチトコーヤ(Geçitköy)では、女性たちが低い枝からナッツを摘み取り、男性たちが木に登って幹をゆらしてナッツを地面に落としている。 |
ここでは、セイヨウハシバミの木を一本も見ないことなど決してない。この木はカバノキ科の樹木で、中国が原産だと言われている。 春には、ヒースのような新芽が700,000ヘクタール(170万エーカー)の丘を埋め尽くし、この黒海沿岸の山地を柔らかい緑のベルベットで包んだようになる。 秋には、葉が黄色く紅葉し、海からの冷たい風とともにやってくる冬の雪の訪れをカラフルに告げる。 何百年もの間、このサイクルが繰り返されてきた。17世紀のオスマン帝国の税金記録には、ヘーゼルナッツ果樹園が圧倒的な景色となっていたことが記されている。
地元のバスには、「Fındık Kale」 (フンドゥック・ケール、ヘーゼルナッツの城)という名前がついている。 ナッツをかたどったキオスクでは、袋詰めナッツ、量り売りのナッツが売られている。 道路沿いの店では、シーズンを過ぎていても「taze fındık (テイズ・フンドゥック、新鮮なナッツ)」という広告が掲げられている。 キャンディーやアイスクリームバーでは、ナッツのローストクランチが有名だ。スライス、刻みナッツ、パウダー、そしてミニチュアナッツ(ピコラと呼ばれる)なども人、気だ。ピコラは直径が9ミリ(3/8インチ)以下で、実際の大きさの約半分となっている。
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トルコ語でフンドゥック と呼ばれるヘーベルナッツは、緑の外皮に覆われた殻の中で育つ果実である。殻自体は、昔から日射病に効くとして民間療法で大事にされてきた。 最近の研究では、大枝、葉、およびセイヨウハシバミに菌糸をはるキノコ、そしてヘーゼルナッツの外皮、殻、果実などが抗悪性腫瘍剤パクリタキセルの有益な原料となることが分かっている。 |
クセノフォンの著書である「アナバシス」は、この栄養豊かな果実に関する最も古い記録となっている。この中で、クセノフォンは「切れ目のない表面を持つ平らな品種」と描写している。 彼は、地元のモシノエジ人(Mossynoecian)が「大量に食べたり、ゆでたり、パンを焼いたりして」使っており、そのせいで地元の少年たちは太っており、「肌が柔らかく青白く見えた」と述べている。 自国百戦錬磨のギリシャ人は、簡単かつ完全にこの敵国を打ち負かし、「ここで食事をとり、行進していった」としている。
現代のトルコ人も、ヘーゼルナッツのパンを焼くが、たいていは挽いて粉にしてケーキを焼く。もちろんフィロ生地のペストリーにも、ピスタチオやアーモンドではなくヘーゼルナッツが詰められており、トルコ全土でどこでも手に入る。 このごちそうには、基本のバクラヴァから、シュビエット(クリーム入り)、ブルブル・ユヴァシ(ナイチンゲールの巣)、コカマン・ゲルダニ(巨人の首筋)など無数のバラエティがある。コカマン・ゲルダニは、生地が束になってしわができ、太った男性の首の後ろ側の肉のしわに見えることから名前がとられた。
他のナッツと同様に、ヘーゼルナッツもタンパク質や主要微量栄養素が豊富であるが、栄養価の高いオレイン酸が他のナッツより多く含まれる。 ヘーゼルナッツは、落花生のような下層土に埋まっているマメ科ではなく、木の果実であるため、土壌に含まれる毒素や灌漑用水由来のサルモネラ菌などを含まない。これらの物質は、しばしば子供が好きな他のナッツを使った食品の脅威となることがあり、最近では落花生アレルギーに苦しむ子供も増えている。
科学者らは、ナッツの持つ治癒力に注目してきた。 クセノフォンと同年代のギリシャ人医師、クニドスのクテシアス(Ctesias of Cnidos)は、初期医学の文献の集成である「ヒポクラテス集成(Hippocratic Corpus)」の中でヘーゼルナッツについて触れている。 1世紀には、ディオスコリデス(Dioscorides)が本草書「マテリア・メディカ(De Materia Medica、医薬の材料について)」の中で、ヘーゼルナッツのオイルと牛乳を混ぜて咳止めシロップとする処方について記している。 伝説となっているイスラム前の賢者、 ルクマーン・アル=ハキーム(Luqman al-Hakim)は、貧血にヘーゼルナッツとマジパン(甘味をつけたアーモンドペースト)を摂取することを勧めている。 後に、11世紀になって、博学者イブン・スィーナー(Ibn Sina)は、犬にかまれたところやサソリに刺されたところにヘーゼルナッツのペーストを塗るように勧めている。 しかし、現代民族植物学的薬品の研究を行っているセントルイスのミズーリ州立植物園では、ナッツは「リスに残しておけばいい」と言っている。
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イスタンブールの東からグルジアとの国境まで、約800キロ(500マイル)に渡って広がるヘーゼルナッツ栽培地域では、トルコのヘーゼルナッツの99%が生産される。 この地域は、実際、2つの異なる栽培地域で構成されている。 サムスンの東にはより大きな西部地域があり、収穫の45%を産出し、サムスンから東にはより小さな東部地域があり、収穫の55%を生産している。 |
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収穫後、ヘーゼルナッツは外皮が茶色くパリパリになるまで太陽の下で乾燥させる。それから、脱穀機で殻とナッツを分離する。殻は家畜の寝床用に売られる。 |
トラブゾンの工場所有者であるシナン・ジラヴ(Sinan Cirav)は、ヘーゼルナッツ生産者の3代目で、ダウンタウンの店先でお菓子や袋詰めナッツの販売も行っている。 祖父のイブラヒム(Ibrahim)は、都市初となる機械化されたヘーゼルナッツ処理工場をオープンさせ、ドイツへの輸出も行うようになった。 ジラヴ氏は、一家が成功してこれたのは、サプライヤと密接な関係を保ってきたからであると説明する。 これにより、多くの業者が絶え間なく参入してくる業界において、ビジネス上の競争に負けないでこれたのだと話す。 同氏は、「6月にサプライヤを訪問します。果樹園にまで足を運びます。収穫量を確認するためと、契約を再確認するためです。 8月に供給を確保しておくことは非常に重要です。そのころになると、最良の作物の奪い合いが始まるのです」と話す。
アフメト・ケスキノルー(Ahmet Keskinoğlu)は、トラブゾンのメインスクエアにある家族経営の店を切り盛りしている。素敵なインテリアの明るい店だ。外の看板には、「çifte Kavrulmuş(ダブルロースト)」と掲げられている。 息子のロックマン(Lokman)は、事業を引き継ぐことにしている。アフメトが30年前に父親から事業を引き継いだのと同様である。 夜には、「フンドゥック」のネオンライトが繰り返し点滅し、皆にわかるようになっている。
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殻をむいた後、ヘーゼルナッツは袋に詰められ輸送される。 15~20日太陽で乾燥させられるものもあれば、すぐに工場での処理に運ばれるものもある。 公式には、ヘーゼルナッツ産出国は24か国である。1970年代以降、その数は2倍近くに増えているが、トルコの生産量は他の国の生産量よりはるかに多い。 2000年代始め、トルコの生産量は世界全体の生産量の90%近かった。今日の生産量は、世界の75%となっている。 |
地元の食文化におけるヘーゼルナッツの位置をさらに理解するため、スイーツショップ「Meşhur Dila Ev Tatlıları(ディラのホームメードスイーツ)」に足を運んで見よう。ここでは6人のペストリー職人が大理石の天板のテーブルを囲んでいる。 1週間に使用するナッツパウダーは、50キロ(110ポンド)入りの袋4つだ。1日に50の大きなトレイに様々なペストリーを並べる。これらは「トラブゾン・ブルマリシ(トラブゾンロール)」と呼ばれている。 37歳のヌーテン・オズジャン(Nurten Özcan)は、週6日間1日10時間立ちっぱなしで作業する。一度に5層づつ、生地を練り、丁寧にナッツを載せていく。まるで種をまいているようだ。 (休みの日には何をするのだろう? 彼女は笑いながら、「自分ののし棒すら持っていないんですよ。 とにかくケーキを焼くことしかしてません」と話す。)
ギレスンの町の郊外、海岸の北は、クセノフォンがナッツを初めて食べたと思われる地域である。ここでは、ムスタファ・シャヒン(Mustafa Şahin)がケシャップ(Keşap)ヘーゼルナッツ協同組合のデスクに座っている。 ここから彼は120人の果樹園農夫の畑を監督している。農夫の平均所有樹木数は300本である。 彼は、「トルコの40万世帯は、ヘーゼルナッツ栽培に直接関連した仕事で生計を立てています。ですから組合員の福祉を保つことに大きな責任を感じています」と語る。 活発な輸出貿易を可能にするヨーロッパ基準を維持するため、彼は各組合員の農薬散布に関する綿密な記録を保持しており、検査官の定期視察を受ける。
シャヒン氏の組合員の1人に、53歳のムーサ・サブール(Musa Sabırlı)がいる。彼は母親であるビンナズ(Binnaz)と共にキリチリの村のハルシッド渓谷の果樹園を切り盛りしている。 高度200メートル(655フィート)の急な傾斜からは、「アルゴ探検隊の大冒険」で金羊毛を探して上陸したといわれる島が見える。 5月、サブール氏の収穫が小さな実をつけるころ、果樹園を通り抜け、祖父であるハッサン(Hassan)の墓石の前までやってきた。鋭い眼光を向け、さらに鋭い刈込鎌を持っていた。
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収穫期には、その地域の都市や村、さらには他の町からも何千人もの労働者がやってくる。 |
トルコのヘーゼルナッツは、イタリア、スペイン、米国のオレゴン州などのような1本幹の木では育たない。オージャクと呼ばれる5本または6本の枝を持つ低木で育つ。 低木1本1本は、1.5~3キロ(3.3~6.6ポンド)のナッツを生産し、生産高の高い年と低い年を繰り返す。 1月に受粉した赤い雌花から果実ができる。熟した実は、3~5つのナッツの房を形成する。 雄花は、その6か月後、収穫の時期に育つ。ヘーゼルナッツの木が「常に働いている」といわれる所以である。
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ギレスン付近の果樹園で働く労働者にお茶を準備する地元の農夫。 |
ギレスンには、610万本のオージャクがあり、 トンブルまたはヤルー・フンドゥック(油分の多いヘーゼルナッツ)などと呼ばれる最も味がよく有用なナッツ品種が採れることで有名だ。これらのナッツは、香りを豊かにする油分が高いだけでなく、加工する際に、茶色い薄皮のような外皮が簡単にはがれるため、菓子職人に重宝される真っ白のナッツとなる。特に、ホワイトチョコレートを作る際には必要不可欠だ。 他の品種には、チャクルダックまたはゴーク・フンドゥック (空のヘーゼルナッツ)がある。この品種は、高度1000メートル(3200フィート)でも育つ品種で、厳しい冬にも耐えることからこのような名前がつけられている。またクシュ(鳥)、シブリ(とがった)、ウズンムサ(背の高いムサ)、そして未登録の品種であるアッラベルデ(神から与えられた)がある。この品種は風による自然受粉のハイブリッド品種である。
ヘーゼルナッツはすべての部分が使用される。 油は、高温での揚げ物に最適だ。 ナッツの殻を保護している外皮は乾燥させ、家畜の寝床用に販売する。 殻は燃料にしたり、つぶしてのりで貼り付け、ウッドラミネートを作成することができる。 枝は、庭の杭に使ったり、縦に割って編んで伝統的な円錐型の収穫かごを作ったりする。 地元では、枝を占い棒として使って、水や宝物を見つけたりできるという信仰もある。
植物生理学者であるギョクハン・キジルジ(Gökhan Kizilci)は、1936年に設立されたギレスン・ヘーゼルナッツ研究所のディレクターである。 彼は、セイヨウハシバミの400の品種、少数の野生種、1本幹の品種、および殻の厚いターキッシュ・ヘーゼルナッツの交配研究を監督している。 キジルジ氏が主に没頭していることは、古い木が生産量の高い年と低い年を交互に繰り返す理由を理解することである。 年ごとの下降サイクルを止めることができれば、収穫を倍にすることができる。
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収穫時に作業にあたる10代の若者や学生たちは、アクバシュ農場のこの部屋のような寮に宿泊する。 女性用の寮で。左上から時計周りに、ファトマ(Fatma)、セミア(Semia)、ネスリハン(Neslihan)、そしてスーナ(Suna);男性用の寮(下)で。イブラヒム、アフメト、ハヤティ(Hayati)、ブンヤミン(Bunyamin)、そしてジェンギズ(Cengiz)。 |
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科学者らは、遺伝子学的改良、および害虫防除に関する研究も行っており、経済学者らは価格助成、および農場拡大サービスを研究している。 昆虫学者の学生であるエブル・グームーシュ(Ebru Gümüş)は、タマバエ、アオカメムシ、モンシロチョウ、ガ、リンゴカキカイガラムシ、アブラムシなどと毎日戦っている。これらはヘーゼルナッツの天敵である。 最近の品種改良において、研究所はオーケイ(Okay)28と呼ばれる生産量の高い新しい品種を開発した。この品種は、生産量の高さと丈夫さを兼ね備えている。名前は、親指を立てる「OK」サインからではなく、研究所のトップブリーダーであるアリ・ネイル・オーケイ(Ali Nail Okay)からとられている。
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20億ドルの輸出用ナッツ生産を支える工場は、品質管理の開発を指揮している。トルコの180あるヘーゼルナッツ工場の中で最大の工場は、ギレスンにあるノーア・フンドゥック(Noor Fındık)である。ここでは殻をむいたナッツの選別を行っている。 |
現代のヘーゼルナッツ加工施設を訪問することは、セキュリティの厳しい科学鑑定施設に入るようなものだ。 ギレスンにあるノーア・フンドゥック工場では、指紋認証によりかんぬきのかかったドアが開く。腕時計を外し、除菌噴霧器で汚れた手を消毒したら、手術室のようなキャップとブーツを着用する。 全員が白衣を着ている。実験室の外にいる人たちも例外ではない。実験室では、ローストする前のヘーゼルナッツの水分量、脂肪、毒性、酸性レベルをバッチごとに機械で測定する。
オーブンに入れる前に、レーザーを使って大きさごとにナッツの選別をする。オーブンでは1時間に6トンをローストすることができ、コンピュータで温度管理を行う。ペースト用のナッツは170℃(338 F°)、お菓子用のナッツは130℃(266 F°)、さらに漂泊して完全に皮をむくためにはさらに低い温度設定にする。 その後、ナッツは製粉機械、およびピューレ機械に送られる。 皮なしのナッツを欲しがる顧客ばかりではない。皮には深い味わいがあるのだ。 ナッツがコンベヤーベルトで袋詰め機械に向かってゆっくり流れていくと、検査官がナッツに厳しい眼差しを向ける。 毎年、1400万キロ(3100万ポンド)のナッツがこの工場を通過していく。
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1時間に6トンのヘーゼルナッツをローストするオーブンを検査する別の作業員。 |
工場マネージャーのアイディン・オーズトゥルク(Aydin Özturk)は、ヨーロッパ向けのトルコ産ヘーゼルナッツの品質管理を行っている。 330年前、オスマン帝国軍はウィーンから撤退することを余儀なくされたかもしれないが、兵士らはヘーゼルナッツを残し、それによりリンツァートルテに独特の風味が加わった。それ以降、甘いお菓子からおいしいごちそうに至るまで様々な料理へと広がってきた。
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ギレスンのヘーゼルナッツ研究所では、遺伝子学的改良の研究が行われており、そのサンプルがこれらの瓶に入っている。 |
ヘーゼルナッツは、ひき肉とまぜてキョフテミートボールにさらに深い味わいを加え、コレステロールを減少させるために使用される。 ヘーゼルナッツのパウダーは、なすにパン粉をつけて揚げた料理に使われる。 ここで人気のあるオードブルは、辛い赤唐辛子とヘーゼルナッツバターを混ぜたピリ辛の一品である。
米国市場に火がつくのも時間の問題だろう。 米国農務省が最近行った研究によると、米国の消費者は1年平均226グラム(8オンス)しかヘーゼルナッツを食べていないが、スイスはというと、同じ期間に1.8キロ(4ポンド)ものヘーゼルナッツを食べている。 しかしこのような相違もそのうち小さくなっていくと見られている。というのも米国のティーンエージャーの間でヘーゼルナッツチョコレートの人気がますます高まっているからである。 ニューヨークのコロンビア大学では、学生がダイニングホールで1週間に最大100ポンドものヘーゼルナッツを食べ、毎週のコストが5,000ドルにも及んでいることが判明し、大きなニュースになった。 学生らはヘーゼルナッツが学業の助けであると主張するかもしれない。ヘーゼルナッツはビタミンB6を豊富に含んでおり、記憶や脳機能に重要なプロセスである神経伝達物質合成を促進する。
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この袋詰(下)のように、お菓子用のナッツは漂白されることが多いが、紙のような外皮すべて、またはその一部を破壊しないようにローストし選別したもの(上)もある。このナッツはより深い味わいとなる。 |
黒海およびイスタンブール輸出業者組合を代表する貿易組織であるヘーゼルナッツ促進グループ(Hazelnut Promotion Group)は、一連の国際料理コンテストを基にした料理の本を最近出版した。 バクラヴァ、ヘーゼルナッツプディングなどのスタンダードな料理が含まれている。レシピは、ギレスンの主婦であるヌラン・キャラバン(Nuran Karaban)の受賞料理のレシピとなっている。
しかし、ランの根のパウダーであるサーレプや、ラマダンの時に食べるデザートに使うスターチ、小麦粉、牛乳の市販のシートであるギュルラッチなど、トルコの典型的な材料が必要のないレシピもある。 イタリアのニョッキ、日本の寿司、そしてメキシコのタコスなどは外国の食べ物として有名であるが、この地域にも有名なハムシと呼ばれる料理がある。アンチョビにヘーゼルナッツのパウダーをまぶして揚げたものだ。
17世紀のオスマン帝国の大旅行家であるエヴリヤ・チェレビ(Evliya Çelebi)は、トラブゾンのハムシおよびバクラヴァを手放しで称賛しているが、フンドゥックについては一度も触れていない。恐らく、彼がここを訪れたのが冬の終わりであり、ヘーゼルナッツの収穫時期をとうに過ぎていたからであろう。 しかし、ハムシ好きの人々に関して、暗い中で暖かいベッドから飛び起きて、寒い中釣りに出かけるほどであると描写していることは、フンドゥックに関する地元の不思議な言い回しと一致している。 それは、「黒髪の少女にはナッツ以外は何も食べさせない」、そして「私は、多くの人が命を投げ捨てようとしたヘーゼルナッツの虫だ」というものだ。
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ペストリー職人は、トラブゾンにあるディラの店のシェフ(上)のように、毎週何百キロものヘーゼルナッツを使用する。一掴みずつふったり、薄い生地に巻き込んだり、スライスしたり、甘くしたりして、地元の人気スイーツを焼いていくのだ。 |
ニューヨークを拠点とするオーストリア人シェフのトーマス・スリヴォヴスキー(Tomas Slivovsky)は、ノイエ・ギャラリー美術館のカフェ・サバスキーのケーキを焼いている。同カフェのデザートメニューは、キルシュトルテ、トプフェントルテ そしてツィトローネンシュットなどの本場の味を知るオーストリア人から高い評価を得ている。 同氏は、ヘーゼルナッツだけが必要不可欠な理由を説明して、 「オーストリアのペストリーを焼くということに関して、私は必ず伝統に従います。 私が焼くザッハトルテには、ヘーゼルナッツパウダーが使われています。ウィーンのホテル・ザッハーでもその方法で焼いていますし、今までもずっとその方法で焼かれてきました。 リンツァートルテですか? アーモンドを代用する人は、伝統を破っていますし、当人にとってもマイナスです」と語る。
促進グループのチェアマンで、オルドゥのグルソイ家族工場の社長であるドゥルスン・グルソイ(Dursun Gürsoy)は、自分が世界に対するトルコのヘーゼルナッツ大使であると感じている。 彼の仕事は、米国市場を拡大することだ。米国への現在の輸出量は、トルコの輸出用ヘーゼルナッツの10%に過ぎない。 彼は、オレゴン州でも収穫が拡大していることは問題ないと見ている。 ためらうことなく「トルコのナッツはより高品質です」と語り、黒海に伝わる別のことわざを引用して、 「城に合わないものは、トルコのヘーゼルナッツの殻にぴったり合う」と語った。
ヘーゼルナッツ生産量は、オルドゥのみので地域の合計の約半分にのぼる。オルドゥ大学では100人以上の学生がナッツ科学を学んでいるのも驚くことではない。 トゥーラン・カラデニズ(Turan Karadeniz、名字の意味は「黒海」)は、スクール・オブ・アグリカルチャー(農業学校)の学部長である。同氏は、地域の古い木の収穫量を倍にすることに取り組んでいる。
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トラブゾンのこの店、そして黒海沿岸のすべての店では、ヘーゼルナッツは考えうるあらゆる形で売られている。殻むき、殻つき、パウダー、ロースト、刻み、プレーン、砂糖漬けなど、種類は多種多様にある。 |
2010年の春の突然の寒さで、トルコ全土のヘーゼルナッツ収穫高は減少したが、オルドゥの高地は特に大きな被害を受けた。それを受け、カラデニズ氏のチームは、寒さに強いチャキルダックと他の品種の異種交配を試みている。 黒海沿岸のこの地域におけるヘーゼルナッツの木は、山の急な斜面に植えられているため、降雨量が多いことも問題となる。 大学では、傾斜の大きい地形において、チョウが嫌う傾向のある燃やしたヘーゼルナッツの枝の灰が、化学薬品より安価でより効果的な殺虫剤となるかどうか、テストが行われている。
8月初旬から始まって20日間に渡って、熟したヘーゼルナッツは枝から落ちる。 黒海沿岸の下り傾斜の果樹園では、電動式装置がほとんど、あるいはまったく使用できない。 よって、摘み取りや収集は、グルジアやクルドの日雇い労働者の手作業で行われる。労働者は高度の低い所から高い所へと、順に収穫をしていく。 収穫を行う労働者にとってのお楽しみとなるのは、同じ時期にちょうど食べごろを迎えるナッツ果樹園にある他のフルーツの木だ。梨、桑、かりん、そしてチェリーなどは、労働者のピクニックの一部となる。
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太陽で干した殻つきヘーゼルナッツは、その豊かな味わいが熟成していくため、世界中からバイヤーがトルコの品種を求めてやってくる。 黒海と同様に、ヘーゼルナッツも沿岸地域全体の生活を支えている。 |
収集されたナッツは、コンクリートの床に広げられ、バキューム装置を使って外皮を選別していく。 その後、殻を外す工場に送る前に、歯が木製で長い持ち手のついたくま手(ティルミック)でよくかきまぜながら、太陽で乾燥させる。 ナッツは、ここからノーアのような加工工場に送られる。北米の穀倉地帯で小麦やトウモロコシが穀物用サイロから取り出されるように、ナッツは巨大な格子のついたシュートから噴き出してくる。
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公園の銅像がギレスンのヘーゼルナッツの伝統に敬意を表して立っている。トラブゾンよりは小さいものの、「世界のヘーゼルナッツの首都」を宣言している。 |
工場のフロアの別の場所では、真空になったバッグが大小のロットになって106の国への出荷を待っている。 エジプトの企業は、1ヶ月に37トンを輸入する。 15トンはドイツからの注文で、積み込みを待っている。漂白して皮をむいたナッツはアイスクリームに使う。このドイツからの注文は、夏の終わりまで数回繰り返される。 ヘーゼルナッツが繊細な雌花、そして冬には垂れ下がった雄花から採取した微小な花粉を受粉して命が始まることを考えると、このような膨大な数字を聞いて驚くかもしれない。
ドイツ人のアーティストであるヴォルフガング・ライプ(Wolfgang Laib)は、まさにこの瞬間からインスピレーションを得た。 彼は、ニューヨーク近代美術館のアトリウムにおいて5.4 x 6.4メートル(18 x 21フィート)の作品を完成させた。黄色い顔料にはまさにヘーゼルナッツの花粉を使っているため、作品は不気味なほどに輝いている。 彼は、まず自分のスタジオの近くの木の花1つ1つから花粉を採取した。それから、水平に置いたカンバスにふるいでまいていった。それはまるでチベットの砂絵、あるいはトラブゾンのペストリー職人が刻んだヘーゼルナッツをきれいに練ったフィロ生地の上にふっていくようだ。
ライプ氏は、ヘーゼルナッツの花粉は「[命の始まり]と同じくらいシンプルで、美しく、かつ複雑です」と述べている。 オーブンから取り出したばかりのバクラヴァを口にすれば、ナッツ自体にもきっと同じことが言えるだろう。