Louis Werner 著
撮影 Kevin Bubriski
エロー・デューンとブルー・シーは、中央モーリタニアの西海岸から始まり、大西洋に 150 キロメートル 近くまで及ぶ、Banc d'Arguin の干潟と砂州を示しています。
120 万ヘクタール に及ぶ Banc d'Arguin 国立公園の一部である Banc とその湾岸は、海底の危険を示した権威ある地図、General Bathymetric Chart of the Oceans に「航海上危険であるとして有名」と記されており、その広大な浅瀬は、渉禽と水鳥にとっては、世界で最も豊かな越冬地のひとつでもあります。
双眼鏡でキョウジョシギ、アオアシシギ、シロペリカン、セグロカモメ、ハイイロミズナギドリやアオサギを見てみましょう。 ピンク色がお好きな場合は、約 40,000 羽のフラミンゴ ( Phoenicopterus roseus)、 あるいは、現地のアラビア方言ハッサニア語で、nanya にピントを合わせてみてください。
100 万羽を超える、セアカイソシギとも呼ばれる、短足のハマシギは見過ごせません。世界におけるこの種の生息数のうち、少なくとも4分の1がここに生息しています。 Cornell Lab of Ornithology によると、イソシギは「ギーギーとしたクェー」という声で鳴き、「冬にかなり群れを成します」。 Banc の大きな群れでは、この両方の状態を確認することができます。 International Union for Conservation of Nature (IUCN) において、この種が「低危険種」と認定されているのも不思議ではありません。
これに、時折訪れるパイパー、タヒバリとチドリ、シギ、コウノトリとアメリカイソシギの他、ミヤコドリ、オグロシギ、ウとアジサシ、およびムシクイ、サバクヒタキやコシアカツバメのような鳴き鳥が加わります。 その上空を旋回しているのは、グリフィンとエジプトハゲワシです。 全部でおよそ 300 種、約 300万羽の鳥を、この冬の公園で見ることができます。
Banc を特徴付け独自の場所にしているのは、砂州と浅瀬、海草と、11 世紀のペルシア人博学者であるイブン・スィーナー(アウィケンナ)にちなんで名付けられた西アフリカの最北のマングローブ種 Avicennia africana 稀存種の森だけではありません。 これらの海域は、南から北に流れる温かいギニア海流と、北から流れてくる冷たいカナリア海流が、沿岸で合流する場所でもあります。 そこで海流が合わさることにより、魚の餌を多く含む、より冷たい水の湧昇が発生します。これは北回帰線より南ではまれな事象です。
魚と海洋生物にとっての恵みは鳥にとっても恵みであり、結果として生じる複雑な食物連鎖は曲折に満ちることになります。 魚食性のジャッカルとミサゴが、海草を餌とするコオバシギとシオマネキを餌とするチュウシャクシギと交わります。 大きなカツオとコルビナは、より小さいイワシを餌とします。 干潮時には、およそ 500 平方キロメートル にのぼる干潟が露出し、まるで全ての生き物がミミズと甲殻類を追い掛けているかの如くとなります。そのミミズと甲殻類は、藻類とプランクトンを食べることにより肥えていきます。
フランスの博物学者であり、サハラ砂漠の専門家である Théodore Monod は、Banc 特有の生態系を認識した最初の人々のうちのひとりで、1976 年にモーリタニア政府はそれを保護するために公園を設立しました。 それ以来、この地域は ユネスコの遺産として、また湿地に関するラムサール条約で「重要な湿地帯」として認定されています。 Swiss Fondation Internationale du Banc d'Arguin (FIBA) は、地域の人間が作った環境と自然保護とを調和させるという、公園の使命を支持するいくつかの組織のひとつです。 公園の規則では、経済活動をラクダの牧畜と帆船からの漁に制限していますが、政府は今年、魚関連製品の輸出用生産を奨励することに加えて、公園の 2 つの入口にウェルカム・センターを開設し、公園の 8 つの村で訓練を受けたエコツーリズム案内人を任命しました。
公園内にある 8 つの村には、約 1400 人のイムラゲン人が居住しています。イムラゲンは「漁師」というような意味を持つベルベル語に由来する名前ですが、イムラゲン人はほとんどのモーリタニア人と同様に、ハッサニア語を話します。 公園に入る方法のうち、最も見応えのある方法は、65 キロメートル の海辺に沿ってドライブすることで、干潮時のみ通行することができます。 公園で最も人口の多い村である Mamghar にあるチミリス岬は、西アフリカで著名な岬の 1 つで、ダカールのヴェルデ岬、ヌアジブのブラン岬、およびタルファヤのユービ岬と並ぶ、重要な海からの陸標です。 ここでの漁業は、公園外での準工業化スタイルから園内での職人技に、またモーターボートから帆船に変わります。 また、ここでは毎年秋の海岸沿いに黄色のボラが回遊する期間に、女性たちが共同で、何キロもの、この地域で最高の poutargue (圧搾と乾燥されたカラスミ) を生産します。 魚から卵嚢を取り出し、卵の選別して、それを圧搾、乾燥し、販売用に袋に詰めて冷凍するのは、組合のメンバーである Asseitu mint Khatri に任されています。
Poutargue 自体は、アラビア語の boutaarikh の外来語であり、「卵で魚が膨れる、またはお金で財布が膨れる」という意味の動詞としてエジプトの口語辞典に掲載されています。 その語源はギリシア語の「魚の干物」という意味の tarichos であるかもしれません。 最近、イタリアの Slow Food Foundation は、地域の女性と協力し、モーリタニアの poutargue をヨーロッパの市場に出しています。地元産ではあるが品質の低い灰色のカラスミより評判が良く、熟成したパルメザン・チーズのようにパスタの上で削ってふりかけることができる珍味として楽しまれることでしょう。
Mamghar から Baie de Saint-Jean までの地域にあるのは、公園唯一のボートヤードがある R'gueiba 村です。 船大工組合の長である Mohamed Fadel ould Mahfoud は、公園の認可を受けている 114 の帆船を維持する 8 人の訓練を受けた船大工のうちの 1 人です。 11 メートル の新しい船のために、公園本部で展示されるクジラの肋骨とは大して違わない形状の、船の肋材を動力研磨機で研磨しながら、彼は船の重要性について語ります。 「船がなくては、そして風がなくては、我々は食べることができません」と彼は述べます。
公園の chef de poste または監視人である Bouthia ould Bah は、ここにいる 15 年間の間に、時折海辺に打ち上げられる死んだクジラを処理しなければなりませんでした。 しかし、彼の仕事は主に無線電話に 1 日 3 回出ること、漁師が義務付けられている生分解性の網を使用しているかどうかを確認すること、およびその日の捕獲物を数えることです。 捕獲物が漁師組合にもたらされると、冷蔵室でテラピア、シイラ (ハッサニア語で n'tad)、コルビナ、ボラ (zuwhol)、ブリーム (hout al-ahmar または「赤クジラ」) の新鮮さが保たれます。
Baie de Saint-Jean の急速に変化する潮と風は、作業中の船団とっては挑戦であり、魚の捕獲における利点でもあります。 昨年末の 3 ヶ月の休閑期間を経て、最近再開されて以来、湾は再び満ちあふれています。 これらの海域において最適な食用魚とされているカツオを購入しようと、近隣の Teichott 村の村長である Mohamed Lemine Teba が R'gueiba の魚市場にやって来ました。 ここでは、1 キロにつき最大 3 ドルで売られています。 ただし、これらの温かい浅瀬で得ることができないのは、さらに岸から離れている場所、またはブラン岬の岩石の多い太平西岸沿いで捕獲することができる タコ、ロブスター、およびコウイカの珍味です。
Teichott は、干潮時に残存マングローブと藻 (Zostera noltii) 場で囲まれる、公園最大の Tidra 島南側の向かいにあります。前者はシラサギ、アオサギやウに休息地を与え、後者には鳥の好物である小魚の餌が生息しています。 村の船団は、干潮時に岸から遠く離れた場所でいかりを下ろすため、戻ってくる漁師は頭上に魚用トレイを載せながら、海岸まで 100 メートル 歩きます。 公園の監視人である Ely ould Bouyah は、小魚が逃げないようにする、禁じられているサイズが小さい網目を使用しているかどうかを再確認します。 ボラの捕獲は 1 月までに終わりますが、それはナマズの捕獲期間と重なります。今冬は、ナマズがはらわたを抜かれ、頭部を切り落とされ、砂場に放り込まれ、保存のために岩塩と防水シートで覆われる様子を見ることができます。 手袋をはめてよく切れる包丁を手にしても、とげのある背びれの処理は困難です。 カモメが上空を旋回し、臓物入りバケツが投げられるのを待っています。
海岸の先のすぐ近く、Tidra 島の最北端のすぐ側に、公園の中央本部である Iwik 村があります。 ここでは、Deidah ould Jedeidu 船長は一等航海士 Yacoub ould Abdullahi とともに Jadda (「祖母」) という名前の船に乗り、この地以外ではめったに使用されることのないカナリア諸島の大三角帆で出帆します。 この構成では、針路を変更する際、空気の流れを最大限に生かすために帆桁を帆柱の周りで押します。そのためには船底スパーの絶え間ないの微調整が必要となります。
Deidah の海事用語は、スペイン語とアラビア語を混ぜ合わせたものです。 帆脚索は cota (スペイン語の escota から)、帆桁は balanka (スペイン語の palenque、「レール」から) ですが、いかり (mirsah) と魚網 (shabaka) では彼はアラビア語を使用しています。 干潮時に出港することは、Jinjan と呼ばれる近辺の干潟を避けて通ることを意味します。その干潟は、Tidra、Nair や Niroumi 島周辺の外に開いたラグーンと豊かな漁場への到達を妨げます。
冬の間、およそ 10,000 羽のヘラサギ (ハッサニア語で Platalea leucorodia; m'boye) が北ヨーロッパからここにやってきます。オランダの保護団体 Natuurmonumenten の Otto Overdijk は、まるでその 1 羽 1 羽を知っているかのようです。 Otto はヘラサギに関して世界屈指の専門家であり、約 15 年間、その鳥の主な夏の営巣地であるオランダのワッデンゼーの彼の拠点から、Banc d'Arguin を訪れています。 彼は自らおよそ 8000 羽のヘラサギに、それぞれ固有の色付き輪の配列を持つ 1 脚につき 3 色の標識を付けました (ほとんどは彼の母国で行われました)。この配置は、彼が第三の目として持ち歩いている観測用の望遠鏡で簡単に識別することができます。
彼のデータ・セットには、渡り経路の両端で、およそ 14,000 羽の標識鳥が 112,000 回、渡りに成功したことを目撃した情報が含まれています。 1999 年に標識が付けられた 1 羽は、100 回以上目撃されています。 スヒールモニコーフ島で 2009 年 6 月に、生後 3 週間未満で標識を付けられた別の 1 羽は、Banc d'Arguin への最初の越冬回避を始めるまで、その巣から 28 キロ の範囲内で活動していました。 その鳥は 1 年後にここで目撃され、恐らく 4 年間ここに滞在します。 そして成鳥として、繁殖のために北に向かい、自分の孵化場所に戻るのです。
Overdijk は、最初のアフリカ滞在で 4 年間を経た後に、その鳥が孵化場所の 1 メートル以内に巣を作っても驚くことはありません。 その後、その鳥は毎冬、渡りを行います。 (2009 年 6 月にオランダで孵化した鳥は、2012 年 1 月 7 日に公園で最後に目撃されました。その鳥の輪の色コードにより、Overdijk は既知の個体として読み取ることができます。 左脚には金属製、黄色、および青の印があり、右脚には黄色のフラグ (オランダ生まれを示す)、黄色、および黄緑色の印があります。
実際、2500 羽のヘラサギが一年中居住し、ここで生まれて (赤いフラグの輪によって示される)、Platalea leucorodia balsaci の亜種名が与えられます。他の鳥は 4000 キロメートル に及ぶ毎年の渡りを行います。 年間を通して居住する鳥には完全に黒いくちばしがあり、冬の滞在者には、先端に暗いオレンジ色の小さなぶちがあります。 双方とも、生殖羽は胸部が黄土色、首が赤の縞模様、嗉嚢が黄色という優雅な組み合わせを有しています。
ヘラサギは通常 4 個の卵をうみ、 26 日間で孵化します。 幼鳥は巣中で 7 週間過ごします。 ほとんどの水鳥と同様に、ヘラサギは、干満から日周のリズムや昼夜に無関心であり、満潮時に睡眠して干潮時に摂食するパターンから、孵化のパターン (雄は夜に、雌は日中に働く) へと変化します。
Overdijk にこれらすべての知識があるのは、2008 年 7 月に Tidra のすぐ北にある Nair 島で、Abou というニックネームを付けた 1 羽に、位置測定の誤差が最大 10 メートルの Argos 衛星発信機を付けたためです。 Abou の繁殖習性は、その後何年にもわたり、干満から日周のスケジュールにより摂食修正が変化するタイミングに注意しながら追跡されました。 満潮時の水位より高い位置に巣を置いた状態で、その鳥は潮の干満とともに行動するのではなく、日の出・日の入りのみで行動するようになりました。
ただし、すべての渉禽類が干潮時に摂食するわけではありません。 満潮線の上で、海辺は満月の夜に穴の外で摂食に忙しいシオマネキの穴でいっぱいになります。そのとき、シオマネキの最高捕食者であるチュウシャクシギも人間の耳には楽しげな音で鳴いています。 外にいる状態で見つかると、シオマネキは最も近い穴に向かって駆け出しますが、それは多くの場合すでに使用されています。 次に、後ろから押し出され、チュウシャクシギの長くて尖っているくちばしで串刺しという、確実な死に至るのです。
ヘラサギとフラミンゴには、足の短い渉禽類に勝る利点があります。 それは潮が満ちてくるにつれ、豊富な干潟でより長く摂食することが可能だということです。また、ヘラサギとフラミンゴは、攻撃時に跳ねる水の音を簡単に聞き分けることができるジャッカルとハイエナに対してもより安全です。 ヘラサギは、見張り役として行動する、より驚きやすいアオサギにも頼ります。 危険が迫ってアオサギが飛び立つとき、ヘラサギは自分も飛び立つことが必要になる前に、摂食にわずかな時間しか残っていないことを知っています。
Overdijk はヘラサギの渡りの経路の両端については熟知していますが、最近最も懸念しているのは、途中の立ち寄り場所についてです。 旅によって 1200 グラムの脂肪に相当するカロリー値が消費されますが、その鳥は 2½ キログラム の平均重量を 600 グラム上回る体重までしか太ることができず、複雑な選択が迫られます。 それぞれが 2000 キロメートル となる 2 つの同等の行程 (南スペインで一度止まり、2 ヶ月の休養中に再び完全に自身を太らせる) で渡るか、あるいは経路の全長に沿って 5 日ごとに止まって、各立ち寄り場所でおよそ 50 グラムの体重を増やして渡るかの、いずれかの方法で渡る必要があります。 そのような短い移動は、一度のみ摂食する鳥が立ち寄り場所で餌が入手できず命取りになる場面に直面する危険は低くなりますが、途中の中継地でのより多くの防御も必要になります。 「渡りにおいて陸地のどこで止まるかは、水中食物連鎖のどこに収まるかと同じくらい複雑で微妙な問題です」と Overdijk は述べています。
ヘラサギは、公園で最も渡りの距離が長い鳥ではありません。 Overdijk は、カナダで標識の付けられたキョウジシギをここで目撃しました。 スコットランドの Highland Foundation for Wildlife は、マレー湾から公園までミサゴを追跡しました。 スパルティナの草の周りをひらひらと飛びまわるアカタテハチョウは? アカタテハチョウも、遠くにある北ヨーロッパの寒冷地からここで冬を過ごすためにやって来ました。
公園から 200 キロメートル 北、モーリタニアの主要漁港であるヌアジブから少し離れた場所で、Hamdi ould M'barek は海鳥ではなく、とある種の海洋哺乳類についての懸念を抱いています。それは世界で最も絶滅の恐れのある生物の 1 つとして、iucn のレッド・リストの上位にある、モンク・アザラシ (Monachus monachus) です。 Hamdi ould M'barek は、スペインの cBD-Habitat Foundation の現場監督であり、漁師の教育および女性の収入のプロジェクトを促進させる、地域団体 Annajah の創設者でもあります。
モンク・アザラシはかつて、ここと地中海の至る所で一般的に見ることができました。 1435 年にエンリケ航海王子の代理として Afonso Gonçalves Baldaia が率いた探検隊について説明した、ポルトガル人の年代記編者である Gomes Eanes de Zurara は、ヌアジブのすぐ北にある湾でのモンク・アザラシの目撃談について記しています。 「5000 匹にもおよぶ、非常に数多くの海狼を見かけたとき、彼はその海狼を可能な限り多く殺して、皮を船に積み込むように命じました。 多数が屠殺されたのは、ひょっとしたら、殺すのが簡単だったのだか、あるいはもしかすると部下の腕が良かったのかもしれません」。
ブラン岬の波に打たれる断崖が並ぶ大西洋岸には、砂底洞窟が点在していて、この温水を好む種の世界最大のコロニーが形成されています。 1997 年の恐らく紅藻類に起因する壊滅的な個体激滅の後、近年、コロニーは回復しました。 昨年は 55 頭のアザラシの子どもが生まれ、個体数は 300 近くになりました。モンク・アザラシは地中海では絶滅してしまいましたが、動物保護活動家は、種が生き延びることについて慎重ながらも楽観的です。
Hamdi は、以前はスペイン領サハラの海側の領土だった、6 キロ 続く海岸線にに対する責任を負っています。 ここは未だ地雷が散らばっているので、既知の安全経路を辿り、監視人は足元に注意しながらフラグ付きの観測所に進みます。 (1988 年に、4 人の動物保護活動家が地雷の爆発により死亡しました。) 監視人の仕事は、海岸に近付く発動機艇に対して手を振って追い払うこと、およびチームのモーターボート・パトロールによる違法ロブスター網の除去を可能にするため、その網を通報することです。
モンク・アザラシについてはあまりよく知られていませんが、アザラシのアラビア単語である 'ijl al-bahr または「ゴマフアザラシ」は、'ijl が「迅速である」という動詞の根源的意味に由来するので、完全に筋が通っていることが極めて明白です。 Hamdi が 3 匹のアザラシそれぞれを衛星追跡することによって明らかになったことのひとつは、雄はそれまで考えられていたような摂食のための縄張りではなく、排他的な繁殖縄張りの維持を試みるということです。 (現在、尾に標識の付いている 3 匹のアザラシは、愛情を込めて Woody、Trebol、および Champollion --- ロゼッタ・ストーンを解読したフランス人を称えるためではなく、カナリア諸島の最後のモンク・アザラシを追悼するため --- と呼ばれています。) アザラシの繁殖期 (通常、年の最初の数ヶ月) における遊泳パターンについての色分けされた図表は、アザラシが岸から離れないようにしていることを示しています。
一頭の優位な雄は、最大 30 頭の雌を自分のために保持する場合があります。 雄は 3 日間かけて摂食に出向き、ロブスターとタコを狩るために、通常 70 メートル、8 分間潜水します。その間、そのアザラシは成体の体重である 300 キログラム の 10 パーセントを毎日摂取する必要があります。 2 日間にわたる長い睡眠がその後に続きます。 しかし、それでも他の雄が侵入し、彼が行動を起こさなければならない可能性はほとんどありません。 一部の不快感を抱く若い雄は向こう岸の探検に向かい、Banc d'Arguin の浅瀬で何匹かが発見されました。
チームは模様によって識別される個別のアザラシの写真集を保持しています。模様は子アザラシである場合は毛のぶちのパターン、あるいはより年長である場合は波に打たれて岩にぶつかることによって生じる傷跡、そのいずれかの方法で識別されます。 何匹かは、模様に基づいて愛称が与えられます。たとえば、Gaviota ( Hamdi のチームの業務用語であるスペイン語で「カモメ」の意味)、Half Belt、Doughnut、Parenthesis、Nike (スウッシュのような形の引っかき傷があるため) などの愛称があります。
記録では、Gaviota は 15 歳であり、必ず 8 月の同じ日あたりに 8 回出産を行い、雄 5 匹と雌 3 匹を産みました。 子アザラシのぶちは時間の経過とともに消えていくので、監視人はそのぶちが完全に消える前に、独特な岩による引っかき傷のパターンの出現を綿密に観察する必要があります。 コンピュータのハードドライブに記録される洞窟内部からのライブ映像に加えて、個別のアザラシの完全な望遠写真の個体数調査が毎月 1 週間、この海岸線を沿って行われます。 モンク・アザラシの出産洞窟における最初の 3 ヶ月を早送りすれば、動物保護の成功談を確実に観ることができるのです。
観察者にとって幸運なことに、雌の子アザラシは腹部が黒ぶち模様のある四角形の白色で、雄の子アザラシは類似色でのアーチ型模様があるため、すべての新生児に正しい性別を割当てることはいたって簡単です。 すべての子アザラシにはちょっとした出生証明書が与えられ、目撃は日付と行動別に記録されます。 たとえば、575 番は 2011 年 8 月 8 日に雌 2032 番の子として産まれ、体重は 18 ~ 20 キログラム で、体長は 1 メートル です。 その子の最初の写真は 1 日後に撮影されました。 3 カ月後、その子アザラシは洞窟近くにある水で遊んでいるところで特定されました。その出生時のスポンジのような毛は、生後 2 ヶ月間に思い切り泳いでいたため水浸しになっていましたが、現在ではそれは抜け落ちて、耐水性の灰色の毛に代わっています。
ほとんどのアザラシはこの限定された海岸の範囲にとどまりますが、何匹かは遠く離れた地点に去りました。 そのような冒険家である一頭は、ブラン岬の最先端に入居することを選択しました。そこでは見晴らしの良い高台で、訪問者は西側の大西洋、南側の Banc d'Arguin 湾、および東側のヌアジブの Baie du Levrier を 270 度のパノラマのような景色として見ることができます。 そしてここで、海辺に高くそびえ立つのは、2003 年 8 月に座礁したモロッコの貨物船である United Malika です。この貨物船は、今ではキロ単位で鉄と鋼鉄を回収するマリ人の船舶解体業者クルーによって処理されている廃船です。
側面にペンキで描かれているのは、モロッコとモーリタニア領域において益 (最後の行に書かれているように) を探し求めるために母国を後にする船員の教訓の詩です。 これらの言葉は、船上の者と同じくらい、空を飛ぶ鳥 (何千マイル離れている巣に向かって飛んでいても) と海におけるアザラシ (出産洞窟から離れ過ぎない方が良いと分かっていていも) にも当てはまります。
我らはともに出港して海を渡る船員仲間です。
皆、同じ言語を話します。
皆、同じ神を崇拝します。
すべての人間は兄弟のようなものであり、その人々に我らは挨拶の言葉を向けます。
そして我らのディルハムとウギアは、共に黄金のように輝いています。
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