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ディアナ・シドニー |
ローラ・ケリー文 |
時代を2700年以上さかのぼり、アッシリア帝国の都、ニネヴェの宮殿で開かれた王室の晩餐会をのぞいてみよう。 中に入ると、ユリとバラの香りが漂っている。 音楽家がハープやパイプを弾き、歌を唄い、詩を詠む。 あなたは新鮮なピスタチオやクルミをつまみ、王の入場を待つ。 隣の女性が体を動かす。女性の赤い麻のチュニックが、綿のショールに当たってかすかな音を立てる。 金のイヤリングが女性の動きに合わせて柔らかに鳴る。
あなたは、アッシュールバニパル王をどんなに深く敬愛しているか彼女に話す。教養があり、その姿からも情け深い支配者であることがわかると。 王は宮廷で芸術家や天文学者、数学者に寛大に支援した。 軍事や外交で出かけるときは、途中で通る国から植物や種、動物など珍しいものをすべて集めてくるように使節団に命じた。使節団が戻ると、彼らが持ち帰ったものを宮殿の庭や動物園、また珍品あふれる部屋に飾った。
王は戦争や風化でもろくなった寺院や建物を再建し、修復した。 最大の偉業は、知識を体系的に集め、目録化したことである。 図書館は王室の書庫であるが、薬品や科学、占い、民話のコレクション、お気に入りのレシピに至るまでさまざまな説明が収められていた。
今日、メソポタミア料理のレシピは、くさび形文字の粘土板を主な出典とする。 エール大学が保有するバビロニアの粘土板レシピは、アッシュールバニパルの架空の晩餐会からさらに1000年余り前のもの。 粘土板YBC 4644には25のレシピが、YBC 8958とYBC 4648にはさらに10のレシピが収められている。 これらの出典に加え、他にも
シリアのマリからmersu という砂糖菓子のレシピと、同じくシリアのウルクから、「王室のブイヨン」と解釈されているさらに古いレシピがあることが、学者の間で一般的に知られている。
こうした古代のレシピは、現代の料理人にとって非常に興味深い難題を課す。レシピを通じて古代メソポタミアの食文化を垣間見れるからだけではない。レシピは材料をリストしただけで、分量や形状の記述はわずか。調理方法すらほとんど説明がないのだ。 料理を把握するのは難しく感じられるかもしれないが、レシピそのものは、身近なものを使ってクリエイティブに試すことができるし、その土地や個人の好みでアレンジすることもできる。 (中世ヨーロッパのレシピも同じように書かれていた。現在でも先進国以外では珍しくない。)
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上: エール・バビロニアン・コレクション 下:ワーナー・フォーマン / Art Resource |
YBC4644として知られる粘土板の両面に楔形文字で書かれた25のレシピ(上)は、アッシリア王アッシュールバニパルの宮殿で開かれた晩餐会を描写したこの浅浮き彫り(下)が彫られた時点ですでに1000年以上昔のものであった。 |
エール大学所蔵のレシピはまずフランスの歴史家、ジャン・ボテロが翻訳し、1995年に『メソポタミアの料理教本』(原題:Textes Culinaires Mésopotamiens)で発表される。 (Another book by Bottéro, The Oldest Cuisine in the World, was published in French in 2002, in English in 2004 and as a paperback in 2011.) ボテロは、粘土板で認識できる料理には、肉と玉ネギが豊富に使われているとの考えだ。とくに玉ネギが多く、料理に特徴的な材料であるとした。 彼はYBC 4644のレシピを訳し、25種類のスープとお粥のレシピを書いた。 うち21個が肉または鶏肉をベースとしたもので、4つが野菜をベースとしたものだった。 すべてに玉ネギとニンニク、リークが使われている。
私が初めて『メソポタミアの料理教本』を読んだ時、地球上でもっとも素晴らしい王国のひとつが、なんとつまらない食べ物を食べていたのだと落胆したのを覚えている。 西アジア全土やレヴァント、北アフリカ、そして南アジアの文明と接触があったにもかかわらず、なぜそんなに玉ネギばかりなのか――そんなことを感じた。 ボテロ自身、これらを最大の敵だけに出す料理、と言い切った。 好奇心をそそられた私は、答えを求めて調査を始めた。
ハルラ・フブルでまとめられたシュメール語やアッカド語の語彙集や、アッシリアの浅浮き彫りの壁画といった有名な資料をひもとくと、アッシリアには豊かな料理文化が存在したことがわかる。 ザクロやナツメヤシ、アプリコット、リンゴ、梨などさまざまな果物や、ラディッシュやビーツ、レタスの名や絵が登場した 羊とヤギのミルクを絞り、肉を食べ、また畜牛やバイソン、雄牛、野生の獲物の肉も食べた。 野生の鳥と家畜の鳥、魚介類などさまざまな食材を摂り、バターやチーズ、ヨーグルト、サワークリームなどの乳製品も堪能した。 こうした資料により、国には食物がふんだんにあったことがわかる。また外国との活発な交易と人の出入りで、王国にはさらなる食材や料理の知識が持ち込まれた。
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マイルズ・コリンズ |
YBC 4644のレシピ20をもとに、ラム肉、甘草、野菜、ネズノミのシチューを作ることができた。 |
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de AgosTini picTure librAry / g dAgli orTi / bridgeMAn ArT librAry (deTAil) |
収穫を描いたこの浅浮き彫りのシーンでは、食料を収穫するために、手間とエネルギーが注がれたことがわかる。 |
メソポタミア料理の解釈の先駆者であるボテロでも、自分の訳の正しさは主張しておらず、いくつかの食材はまったく訳さずにいた。 このため、実際のレシピを復元するのは、非常に困難な作業となった。
例えば、ほぼすべてのレシピに登場する食材で、訳されなかった言葉のひとつに、samidu がある。 ボテロはそれが、玉ネギやニンニク、青ネギ、リークなどのネギ類であると仮定した。 だが現代語に目を向けると、ヘブライ語やシリア語ではsemida が「細かい食べ物」という意味で、ギリシャ語ではsemidalis が「細かい粉」を指す。 シカゴ大学のアッシリア語辞書では、semidu がセモリナと定義されている。 食材がひとつ解明できた。先は長い。
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ローラ・ケリー |
粘土板YBC 4644のレシピ19はラムとキャロブの料理 |
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カタリーナ・グロッソ |
甘草とシトロンの肉料理は、紀元前400年のシリア、ウルクのレシピ |
同様に、kasû と呼ばれる食材を使ったレシピもいくつかある。これはネナシカズラ属の寄生雑草であるネナシカズラと解釈されていた。 あんな苦い雑草を料理に使うはずがない――と別の意味を探したところ、中近東学者のピョートル・スタインケラーが論文で、kasû はおそらく野生の甘草(Glycyrrhiza glabra)であると議論していることが判明した。しかもメソポタミア人はそれを料理やビール造りに使っていた。
また、mersu はケーキと解釈されている。これは「混ぜる」という意味のmarâsu に似ているためであり、またナッツやナツメヤシを材料とすると説明されているからだ。 だが、mersu がケーキであることを示す記述はなく、その作り方さえ指示がない。
mersu は別のものではないのだろうか。 現代西アジア、レヴァント地方の料理を見ると、mersu はどうやらナツメヤシとナッツのロール、あるいは、きれいなナツメヤシ「キャンディ」であったようだ。 どちらのお菓子もつぶしたナツメヤシと砕いたナッツやフルーツを使い、ナッツがトッピングされているものもある。
また何らかの粉を加えると、mersu は現代イランのお菓子、ランギナックに似たものになる。ランギナックはピスタチオが詰まったナツメヤシのまわりを、薄い生地で覆ったもの。 または、現代レバノンのマモウルというお菓子にも似ている。つぶしたナツメヤシの餡に、セモリナ粉の生地をかぶせ、それに砕いたピスタチオをまぶして作る。 ヨーロッパ以外の料理を参考にすると、ケーキ以外にもmersu を文化的にもっともらしく解釈する多彩な可能性が見える。
私自身の研究と、また知り合いと共に行った台所実験の結果、エール大学が保有する粘土板レシピの修正版「解釈」ができあがった。 実際のところ、YBC 4644のレシピは、どれもスープやお粥などではない。これらのレシピはむしろ、シチューのようなkoreshes や、カレー、スープから肉の蒸煮、ドライピラフまで、さまざまな料理の味について一般的な方向付けをする記述なのだ。 どれも、液体と固形の相対的な配合で決まる。 先に述べたように、これらのレシピには材料の分量がほとんど載っていない。そのため、正しい調理は料理人の腕にかかっている。料理人はこうしたレシピを理解し活用する十分な訓練を受けた人物ということになる。
例えば、YBC 4644のレシピ19に、halazzu があるが、訳がない。 ラム肉または牛肉とキャロブの料理ではないだろうか。 halazzu は、過去のアッシリア学者数人もキャロブであるとしており、レシピでキャロブを使えば、おいしいシチューやソースができる。 レシピ20は「塩味のスープ」。これはマトンを野生の甘草とネズノミで料理したもの、レシピ23、kanasu も訳されていないが、ラム肉と穀物、ミントの料理だと解釈できる。 最後にレシピ25に美味しそうな穀物とハーブの料理を見つけた。ボテロはlaptu を「カブ」と訳したが、学者の間では「麦」という解釈も同等に受け入れられており、それについては言及がない。私はlaptu の訳として後者を採用した。
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エリック・レッシング / Art Resource |
ニネヴェの宮殿にある石の浅浮き彫りに描かれた笛吹き |
レシピの新たな解釈以外にも、神に捧げる食べ物についての記述の翻訳は、まさにレシピの宝庫であった。 ヴァンダービルト大学の学者、ジャック・M・サッソンによると、メソポタミア人と神々は親密なつながりがあり、神に捧げる食べ物と食卓に並べる食べ物も近い関係にあったと考えてよい。とくにエリートたちは、神の食卓で食べたので、料理人にとっては舌鼓を打たせるもう一つの動機となった。 例えば、メソポタミアの都市ニップルの捧げ物をマルセル・シグリストが翻訳したものでは、mersu にはイチジクやレーズン、リンゴのみじん切り、ニンニクのみじん切り、油またはバター、ソフトチーズかハードチーズ、果醪またはシロップといった多くの材料が使われている。 これでmersu の幅も広がる。料理人は材料を混ぜ合わせて調理すればいい。 また同じ論文には、ninda-gal というパンのレシピがあった。材料はウルシ、サフラン、オニオンシード。 こうした捧げ物はレシピの新たな資料となるだけでなく、メソポタミア人が食べた食事のヒントにもなる。
3大陸から集まった数人のシェフとコックの助けを借りて、私は先ごろ前出のレシピやその他メソポタミアレシピを吟味した。 私は、ラムとキャロブのシチュー、ラムチョップのキャロブソースがけ、鶏肉のハーブ風味(YBC 8958)、麦とハーブのピラフ、mersu の盛り合わせを作った。 他のメンバーは、ラムと穀物、ミントの料理(クスクスまたは、レシピで使われるエンメル麦として最も可能性の高い形態である小麦粒を大麦で代用)、甘草やネズノミでアレンジしたラム料理、甘草やシトロンの豚ヒレ肉料理を作った。
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サーシャ・マーティン / globaltableadventure.com |
最初は「ケーキ」と訳されたmersu は、ナツメヤシとナッツをボール状にしたお菓子である可能性が高そうだ。 |
こうした再現レシピのお味はというと――、 美味しかったの一言である。 変わった複雑な風味だったが味わい深く、有能な現代のシェフが作った創作料理のようであった。 敵に出す料理では決してない。親友と一緒に食べるのが一番だ。
こうしたメソポタミアの料理の新たな味を試すだけでなく、実際に最古のレシピを使って料理してみると、太古の時代を訪れ、広い世界の窓を開くような経験ができるだろう。 そこからバビロンやニップル、ニネヴェの宮殿晩餐会が垣間見れるのではないだろうか。
鶏肉のハーブ風味(エール大学バビロニアン・コレクション 8958、レシピ2)
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粘土板に記された材料: ハト、塩、水、油、酢、セモリナ粉、リーク、ニンニク、エシャロット、チューリップの球根、ヨーグルトまたはサワークリーム、「緑の野菜」。 他のメソポタミア・レシピと同様、調理の仕方と配合は作り手次第。 このレシピでは、ハトの代わりにコーニッシュ・ゲーム・ヘンを使った。 |
コーニッシュ・ゲーム・ヘン2羽を洗い、内側と外側に塩をふる
水4カップ
鶏がらスープ2カップ
ザクロ酢1カップ
バター大さじ3
アサフェティダ小さじ1/4
乾燥ミント小さじ2
コリアンダーシード大さじ2
クミンシード小さじ1
スリランカ・シナモンスティック大1
ルッコラ1掴み分 みじん切り
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黄タマネギ1/2
リーク1本 白と緑の両方があるもの、洗っておく
ニンニク10か11かけ 皮を剥いておく
軽く水を切ったヨーグルト1./2カップ
ミントの葉(生)3掴み分
セージ(生)1掴み分
ハーブを湿らせるための水
鶏肉をすすぐためのザクロ酢を別に用意する
ソースのとろみ付けにセモリナ粉小さじ1~3
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ローラ・ケリー |
鶏を洗い、乾かす。内側と外側の両方にたっぷり塩をふる。 一旦鶏は取りのけておく。 水、ガラスープ、酢を大きな鍋か、鶏がまるごと入るぐらいのやかんに入れる。 バター、アサフェティダ、ミント、ルッコラを加え、時々混ぜながら強火にかける。 沸騰したら鶏を入れ、もう一度沸騰させる。 火を少し弱め、5分間蓋をせずに中火で煮る。 水分がぶくぶく音を立てる程度まで火を弱め、 蓋をし、5分煮る。
オニオン、リーク、ニンニク6~7かけ、軽く水を切ったヨーグルトをフードプロセッサーにかけ、さいの目またはみじん切りの大きさになるまで回す。 これを鶏に加え、さらに5~10分煮る。この時焦がさないように注意する。 鶏が煮えるまで15~20分かかる。 鶏が煮えたら鍋から出し、触れる温度まで覚ます。
肉焼き器を予熱する。 鶏を冷ましている間、鶏の煮汁をきれいなフライパンに移し替える。 カップ1~2のスープでクスクスや大麦などの穀物を炊く場合は、この時にする。残ったスープの3分の1から2分の1は捨てる。 軽く沸騰を保つ程度に煮ながら、ときどきかき混ぜる。蓋をとり、時々かき混ぜながら煮詰める。
ミントとセージ(またはお好みのハーブ)と残りのニンニクをフードプロセッサーに数回かけ、みじん切りにする。小さじ1杯程度の水を入れ、湿らせる。 鶏肉を背骨から鋭い大きめのナイフか包丁でスライスし、2つに分ける。 ザクロ酢を鶏肉の内側と外側にかけ、調理でついたハーブを洗い流す。
鶏肉の内側と両側に、ミントとセージを混ぜたものをすり込み、均等になったら一旦取りのけておく。 とろみが出始めるまで煮汁を煮詰める。 セモリナ粉で、さらにとろみを付ける。粉が完全に溶けるまでかき混ぜる。
鶏肉を肋骨を下にした状態で、軽くスプレーしたベーキングシートに置く。 予熱した肉焼き器で、片面4~5分ずつ焼く。 目を離さず、鶏肉を焦がさないようにする。
適宜ベーキングシートを回して、均等に火が通るようにする。 焼きあがったら火から下ろし、5~10分寝かせる。その間にソースを仕上げる。
好みでソースを裏ごしする。 (素朴な雰囲気を出したかったので、私は裏ごしをしなかった。) 私は深皿に焼き麦とハーブのピラフを敷き、ソースをかけ、その上に鶏肉を重ねた。肉の上にも少しソースをかけた。 |
焼き麦とハーブのピラフ(エール大学バビロニアン・コレクション 4644、レシピ25)
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粘土板に記された材料: 水、油、焼き麦、エシャロット、ルッコラ、コリアンダーのミックス、セモリナ粉、血、すりつぶしたリーク、ニンニク |
全麦1カップ 洗っておく 水2カップ
スープストック1カップ
バター小さじ2
塩小さじ1
アサフェティダ小さじ1/4
コリアンダー粉小さじ1
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エシャロット3本 皮を剥いておく
ベビールッコラ1掴み分
セモリナ粉小さじ2
血小さじ2(好みで。あればでよい)
リーク1本 白と緑の両方があるもの、洗っておく
ニンニク4~5かけ 皮を剥いておく
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肉焼き器を一番高い温度で予熱しておく。 洗った大麦をベーキングシートに重ならないように広げる。 大麦を肉焼き器で焼く。煙が出て色づき始めるまで、数分そのままにしておく。 軽くかきまぜ、必要に応じて皿の向きを変える。ほとんどの大麦が色づくまで焼く。 このとき大麦を焦がさないように注意する。 上手に焼けた大麦は、ナッツのような味がする。 出来上がったら火から下ろし、冷ます。
中型の片手鍋に水とスープストックを入れる。 お好みでスープに味付けしてよい。または他のレシピでとれたスープを使ってもよい。 (私は上の鶏肉のレシピでとれたスープを使った。) バター、塩、アサフェティダ、コリアンダー粉を加え、引き続き煮る。
エシャロット、ルッコラをフードプロセッサーにかけ、1、2度回す。 セモリナ粉と血をこれに加え、さらに1、2度回す。 これを鍋に加え、水を足し、かきまぜる。 沸騰する直前に大麦を加え、よく混ぜる。 また沸騰させる。 火を弱め、蓋をして中火から弱火で4分の3ほど火が通るまで煮る(20~30分)。
大麦を煮ながら、リークとニンニクをフードプロセッサーで2~4度回してみじん切りにする。このときドロドロにならないように気をつける。 これを大麦に加え、1、2回かき混ぜる。かき混ぜ過ぎると大麦に粘りが出てしまうので注意する。 蓋をずらしてかぶせ、何度も確認しながら煮る。 10分以内でほぼできあがり。 |
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