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巻 63, 号 32012年5月/6月

In This Issue

タイム トラベル
「1キロの種から5500万の植物がうみだされます」 上の Abu Kassem は、彼のレバノン南部の畑から、大がまと自分の手を使って収穫したハーブza'tar (ザアタル) 、別名野生のタイムのサンプルを集めながら説明します。右:小枝からザアタルを除去。

「私のスーツケースは重量超過ではありません」とアンマン空港のチェックイン カウンターで私の前のヨルダン人女性が説明しました。強調するように、彼女はスーツケースから、乾燥して粉砕した葉が入った、大きなビニール袋を取り出しました。「これは”余分な重量”ではなく、za'tar (ザアタル) で、親戚へのおみやげです」

上、下:粉砕してふるいにかけられたザアタルの葉(右)は、セサミ (左)および粉砕していないスーマックのベリー(上)といつでも混ぜる準備ができています。

やはりチェックインカウンター職員は、超過料金を彼女に課しましたが、彼は多くのアラブ人と同様、同情と理解を示しました。ザアタルは余分なものではなく、欠くことのできないものだからです。それでも、オーストラリア系レバノン人よりも、彼女ははるかに冷静でした。オーストラリア系レバノン人の義理の母親のザアタルの袋を没収した時、彼は地元のニュースに登場しました。彼は、それを「悲劇」で「惨事」だと呼び、そして国会議員と話したいと要求しました。実に、アラブ人がふるさとの味を持って帰るためにスーツケースに詰めているのは、ハマスでもファラフェルでもありません。ザアタルです。アラブ人は情熱を持ってそういった行動に及ぶのです。

アラビア語では za'tar (ザアタル) (zaah-tar) は2つの意味を持ちます。それは、主に地中海東岸の丘陵に育つ、あるハーブの名前です。さらに重要なことには、そのハーブをセサミ シードと他のスパイスをいっしょにブレンドしたハーブの混合物の名前でもあります。それは、望郷の念と必需品を調合することによって生まれたブレンドです。オリーブオイルを混ぜたディップにして食べられるので、レバノン、ヨルダン、シリアおよびパレスチナでは、ザアタルは朝の食卓におけるおなじみの主食です。「ザアタルとオリーブオイルを除いたら、私たちは何も食べるものがありません」という言い回しは、「私たちには、主食しかありません」という意味です。今では、ザアタルは芸術や音楽にも表現され、シンボリズムとアイデンティティも込められるようになりました。例えば、詩人 Mahmoud Darwish と作曲家 Marcel Khalife とのコラボレーション「Ahmed Al Arabi」では、ザアタルは、内面的な強さとふるさとを間接的に表現しています。そのハーブ ミックスは、レバノンから始まり、その後他のアラブの国々に広まった Za'tar wa Zeit チェーンのような、その名前自体が暗に快適さを示し、人々を引き寄せる流行のレストランにも取り入れられています。

しばしば野生のタイムと呼ばれますが、残念ながら、za'tar (ザアタル)の英語への直訳はありません。「それはスパイス以上に風味があります」と、レバノンの薬用および芳香性植物種専門家である Jihad Noun は説明します。話題がザアタルになると、彼は生き生きとしてきました。

「その地域では、ザアタルと呼ばれる22種のハーブが存在します。それは彼らが持つ、共通のエッセンシャル オイルです。セイボリー、オレガノおよびタイムを含む、全て同じシソ科 または別名ミント ファミリーに由来します。個人的には、私はいつでもザアタルを食べることができます。ザアタルは味覚を開放するものです」

多種の野生のタイムと、入手可能なザアタル原料の無限の組み合わせから、Abu Kassem は彼独自のお気に入りの調合を準備します。

地域、そして店や家庭によってもザアタルの調合は異なります。どこで一番いい調合が見つかるかについて、ほぼ皆が自分の意見をもっています。そしてはそれは大抵の場合、彼ら自身の故郷であることが多いのです。

Amman's Izhiman のような一流のスパイス ショップは1ダースもしくはそれ以上の種類を用意するこができます。「私たちは1ヶ月に5トンのザアタルを売ります」エグゼクティブ マネージャーの Naser Matouq は言います。

ザアタルの最大の生産国および輸出国はヨルダンです。アンマンの活気のある中流階層向けショッピング街である Suweifeh では、Izhiman と Kabatilo の2カ所の店がその通りの交通渋滞の原因になっていることで有名です。Izhiman は、1893年にエルサレムで、コーヒーを専門的に扱う店として開店し、Kabatilo はスパイスを専門的に扱う店でしたが、今では両店同じくらい彼らのザアタルで有名です。Kabatilo は、店内のレジの近くの最も重要な場所に、高級な調合4種類を置き、その他異なる12種類の調合を提供します。そのような高級なザアタルは、ウエストバンクのヨルダンの丘陵の斜面からヨルダンに運ばれます。Jenin、Qaliqiya および Tulkarem の村付近の栽培者は、春の終わりに野生のザアタルを収集します。ヨルダンの他のザアタルは耕作畑からもたらされます。

「野生の山々からのザアタルはとても辛く、通常それだけでは非常に強すぎます。しかしヨルダンの耕作畑からのザアタルは平坦な土地で育ち、安価で風味が落ちます」と、家族4世代にわたり Izhiman で働いているエグゼクティブ マネージャーの Naser Matouq は説明します。

店では、その全てがパレスチナやヨルダンからのものであるザアタルを使って7種類のザアタル調合を用意し、それらは、蓋なしの木製の容器に入って一列に並んでいます。そこでは「ザアタル マネージャー」が、お客様のために、サンプルおよびザアタルを選ぶ手伝いをしています。要望があれば、目の肥えたお客様のお好みの調合に合わせるように微調整するために、ビニール袋を閉じる前に、彼らはスーマック、セサミ シードや塩を追加します。オリジナルの調合は、ザアタル ロイヤルと呼ばれます。ザアタル、スーマック、セサミ シードは全てその割合が正確に計られます。もっと安価なオプションは、ザアタルを長持ちさせるために、スモークした小麦を追加することです。しかし、一番需要があるのはザアタル スペシャルで、それには、ザアタル、スーマック、セサミ、ローストした小麦、コリアンダー、キャラウェー、フェンネル シード、ディルと塩が入っています。

上:平たいパンに、ザアタルのペーストとオイルを合わせると、 mana'esh、「気軽に食べられる、究極のザアタル料理」になります。Izhiman (上)で調理され、パン職人の作った作品は直ちに待ちきれない様子のお客様(上)に出されます。

「ヨルダンだけで私たちは、1ヶ月で5トンのザアタルを売ります」と、Matouq は言います。「それは私たちが何物であるかという意味の大部分を占めます。試験の前に、全ての母親がザアタル サンドイッチを私たちに食べさせました。なぜなら、皆、ザアタルは私たちを賢くしてくれると信じているからです」

アンマンから少しはずれた Izhiman の生産施設では、全体のフロアの2つをザアタルの生産専用にしています。ウエストバンクからの乾燥したザアタルの葉で詰まった白布の袋は、ザアタルのナチュラル オイルを劣化させる太陽の光から遠ざけて、棚でいっぱいの部屋にぎっしりと埋まっています。作業員は、茎やその他破片を取り除くためにザアタルを3 、4回かけて手でふるいにかけます。そしてそれを特別な機械にかけて粉砕します。ザアタルは大体通常その地域に育つベリーであるスーマックといっしょに調合されます。スーマックは同様の過程を経てその皮とシードが切り離れると、色鮮やかなえび茶色に変わります。そのスパイスは、北アメリカ大陸のドクウルシとは違うもので、酸っぱい、レモン風味を調合に付け足します。「私たちは、シードではなく外側しか使わないので、スーマック ベリーの47%は失われます」と、Matouq は言います。「しかしそれだけの価値はあります。安価なザアタルでは代わりにクエン酸が使われますが、味や見ための点でも私には受け入れられません」

「セサミ シードはかつては調合の一部ではありませんでしたが、今では除外されることはめったにありません」と、彼は付け足します。「mana'esh に使うザアタル以外は、すべてのザアタルの調合には地元のセサミ シードを使います。mana'esh の調合には、もっと小さく、焦げにくいエチオピアやスーダンのシードを使います」

Mana'esh は、気軽に食べられる、究極のザアタル料理です。ザアタルとオリーブオイルのペーストを塗った丸く平たいパンは、薪を燃やすオーブンから熱々のまま食べるのが最も美味です。レバノンの背のように点在する山の村を訪れる以上に、おいしい mana'esh を味わうことはないでしょう。そこでは、独自のザアタル調合か、あるいは、自身の家庭から持参することを覚えているなら、それを使って、その場であなたのために mana'esh を作ってくれる家族経営のパン職人を見かけることでしょう。パン生地がサクサクして紙のように薄いのが好きな人もいますし、パン生地が厚く、柔らかいものを好む人もいます。

長年にわたり、Abu Kassem (下)のような専門家の助けを借りて、ベイルートの Barbara Abdeni Massaad は、この「レバノン人にとってのイコン、生活様式」の全国的な調査を行いました。それは、Nabatiyah (左)の薪を燃やすオーブンのすぐそばにある、へらの上にある田舎の mana'esh から、ベイルート(右)にあるトレンディなレストラン、Za'tar wa Zeit (ザアタルとオリーブオイル)での洗練された料理の幾何学にまで及びました。

「私たちの mana'esh は、調合物をもっとのせられるよう、厚く作ります」と、Batloun の街にあるパン職人、 Nabil Kamal Eldin は言います。彼が薪を燃やすオーブンと奮闘している間、娘の Sara は、パン生地を広げてその上にオイルとザアタルをのせます。ザアタルは茶色がかった黒に変わり、料理は円熟して、塩を含み、レモン風味でピリッとしたものになります。

man'oushé はレバノン人にとってイコン、生活様式です」と、 mana'esh の単数形を使いながら、Barbara Abdeni Massaad は言います。「レバノンに帰ってくると、man'oushé を食べたくなります。」2005年、Massaad は以下の発表を行いました。Man'oushé : レバノンの街角のパン職人の内幕、70のレシピと写真を含む。レバノン生まれの彼女は、10代の数年をフロリダで、父親の中東レストランで働きながら過ごしました。レバノンに帰り、そこで結婚、3人の子どもをもうけた後、彼女の食べものと写真に対する情熱を一体化し、1冊の本にする決心をしました。「私のお気に入りの食べものはピザでした」と、彼女は思い出します。「だから、ピザに関する研究をするつもりでした。そうしたら、ある晩目が覚めて、’レバノンのピザ’である man'oushé を思いつきました。今ここに man'oushé があるというのに、なぜイタリアについて考えているのでしょう?レバノンのパン職人を可能なかぎり訪ねました。それはおよそ250にも及びました」

その中で、彼女はアレッポ ペッパー ペーストや粉のクルミをスパイスの調合に入れるものを含む、ユニークな mana'esh を発見しました。Massaad は、家庭で mana'esh を子どもといっしょに作るという体験についても信じています。プロのパン職人から、自家製パン作りの秘訣を少し学びました。「美味しい man'oushé の秘訣は、正しいザアタル調合と高熱で焼くことです。上等なザアタルを man'oushé に使いたくはありません。最高級のザアタルは、焼くと少し苦くなる可能性があります。パン職人はまた、スパイスを、オリーブオイルだけでなくむしろベジタブルオイルと調合することによって、コストを削減しています。オリーブオイルはそれでも重要ではありますが、実際ベジタブルオイルには軽さが備わっています」

Man'oushé を著して以来、Massaad は自身のテレビ番組 「Helwi Beirut (スイート ベイルート)」を持ち、レバノンのスローフード運動の常連となりました。カメラと四輪駆動を使ってのレバノンの食文化の探索は、彼女を Zawtar へと導きました。そこは、見渡す限り、緑の茂った南レバノンの村です。そこは、Mohammed Ali Naami、Abu Kassem として知られている農民の家です。彼は Litani 川を見下ろす山々からザアタルを収集すことで生計を立てていました。いまでは彼は川の流れの音を聞きに、その山々に行くだけになりました。

家のすぐ外にあるテーブルで家族と共に豆やオリーブとザアタルの朝食を食べるとき、2ヘクター(5エーカー)のザアタルの畑を見渡します。そこは、もともと野生ザアタルのシードから植えつけましたが、現在では耕作しています。タバコ農民の息子である彼は、13歳の時学校をやめなければなりませんでした。しかし今では Abu Kassem は、2000年にイスラエルが撤退した後の、国連の南レバノン経済復興プログラムの成功例です。

「1キロの種から5500万の植物がうみだされます」と、Abu Kassem は、ザアタルの葉がちぎれる際の芳香が漂う畑の中を歩きながら、説明します。「野生の状態では、1年に1回しかザアタルを収集できませんた。しかし今では一年に4、5回収穫することができます。以前は何処にも行ったことがありませんでしたが、今ではイタリアとヨルダン、そしてリビアにも野生と同様にいいザアタルを栽培することについて話に行きました。ザアタルは私と家族にすべてを与えてくれました」

南レバノンの多くは、「タバコ農業に依存している地域です。タバコ農業は、土壌に特によいわけでなく、栽培にお金がかかり、タバコ葉の工程をしばしば手伝う、女性と子どもに危険です」。彼女はベイルートで国連の西アジア地域経済社会委員会で働いています。この委員会は南での研究を行いました。「私たちはザアタルは実行可能な作物だと理解しました。特に、地域のもうひとつの生育可能な作物であるスーマックとも調和します。しかもザアタルは回復力に富んでいます」

Jihad Noun もこのプロジェクトで働いています。「農民にとって、または作物にとっても、野生作物に頼ることは、継続維持できるものではありませんでした」と、彼は説明します。「ザアタルは成長市場でしたし、野生作物は自然環境を破壊することなしには続けていけませんでした。農民がその種を使えば、環境破壊せずに同じ味覚を作り出すことができます」

ザアタルはレバノンでは輸入および輸出においても換金作物なので、Noun はザアタル調合の標準化に対しても取り組んでいます。「多くの要因がザアタルの風味に影響を与えます。例えばヨルダンでは、より乾燥状態にあるので、ザアタルはレバノンよりも早く (夏ではなく春に) 刈り取られます。乾燥は風味および色を変化させるのです。調合に入れる塩の容量、容認される添加物の種類、セサミとスーマックの割合などは、すべて問題となります。レバノン、シリアおよびヨルダンでは標準化に関する法律がありますが、効果的に評価するコンプライアンスができる事業体はありません」

多数の祖母および他の農民と同様に、Abu Kassem もまた、訪問者に、ザアタルはただの食べものではなく、薬だとすぐに述べます。彼は流行性感冒、皮膚炎、生理痛、風邪、神経痛、胃痛などを治すと信じています。伝統と融合して、歴史は彼を擁護します。「その地域の中世の文書によれば、ザアタルは消化不良、鼓腸、鬱血および口臭を治すと信じられていました」と、Juan E. Campo は言います。彼の妻である Magda は、カルフォルニア州立大学サンタバーバラで中東の食べものに関する歴史の教鞭をとっています。「事実、リステリンのようなマウスウォッシュ製品は今ではチモールを含んでいます。これは、同じタイプの植物の派生物です。古代のアッシリア文化の文書によると、その香りはてんかん患者を蘇生させるとうわさされたようです」

ザアタルの力は聖書にも同様に記述されています:「詩編51、韻文7では、’ヒソップで私を清めてくだされば、私は清浄されるでしょう。洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなるでしょう’」 とNoun は説明します。「ヒソップは、古語でザアタルを意味します」と、彼はいいます。レバノンではいまだ礼拝でしばしば使われていると付け加えながら。

ザアタルは料理の中で多くその形を変えます。いくらかの品種は酢漬けにされ、また他のものはしばしばスライスしたチーズといっしょにそのまま食べられます。しかし、携帯できることや、長持ちすることなどを考慮すると、ドライ ミックスに優るものはありません。ザアタルはレヴァント地方から他のアラブ諸国へと旅する臨時労働者と共に移動します。特に、アラビア半島では、今やパン職人は若いレバノン人、シリア人およびパレスチナ人で占められ、彼らの母国と同じくらい美味しい mana'esh が作られています。「ザアタルがらみの人々の身の上話について書かれた手紙を世界中から受け取ります」と、Man'oushéの作者である Barbara Massaad は言います。「ここからの移民のおかげで mana'esh への要望が多く、ポリネシア、オーストラリアおよびフランスのパン職人は、近頃それを作っていると聞いています」

アメリカ合衆国には、アラブ人からなる大きな社会があり、ザアタルは中東系食料品店にて幅広く入手可能です。ノルウェー人やドイツ人からの移民が定住したアメリカ合衆国の大草原地帯で、ザアタルが見つかるとは考えないでしょう。そこは、ザアタルがよく育つのに必要な暑く、日がさんさんと降り注ぐ天候とは対照的に、厳しい冬が到来する場所です。それにもかかわらず、サウスダコタ州のスーフォールズにあるレストラン Sanaa's に入ると、mana'esh が土曜日のランチ ブッフェの人気の中心であることがわかります。列の中で、あなたの前には、地元のアラブ系アメリカ人か、さらにはドイツやノルウェー移民の子孫という、違ったグループの人々がいるかもしれません。

Jay Pickthorn
サウスダコタ州のスーフォールズにある、Sanaa Abourezk の今では人気の食堂に客を誘いこんだのは、Pillsbury の ビスケットの上にオリーブ オイルとザアタルを軽くふったものでした。「お客様はそれを’ブラウン ブレッド’と呼びました」と、彼女は思い出します。
Jay Pickthorn

毎週土曜日、Sanaa Abourezk は自ら mana'esh のパン生地を作ることからはじめます。シリア出身である彼女は、柑橘類の農業における博士号を取得するためにアメリカ合衆国にやってきました。彼女は、農業工学の学位をすでに取得していました。それは父親の夢で、そうすればシリアにある成功している家族の農園の管理や改良を助けることができるようになります。彼女の心の奥底にある感情は料理にあり、運命はその方向へと彼女を導きました。20年以上前に、彼女は前アメリカの上院議員である James Abourezk と出会い、結婚しました。彼は、アラブ系アメリカ人で、1979年に政治の世界から引退した後は、出身のサウスダコタ州に戻りました。しばらくの間 Sanaa は、ヘルシーな、そのほとんどはベジタリアン用の中東の食べものに関する料理の本を書くこと、また今や15歳になった娘の Alya を育てることで幸せでした。メニューを念密に計画することなしに、それでもなお、彼女の夢を実現させる決心をしました。そして、当初はスープと、オリーブオイルとザアタルを軽くふって焼き上げた Pillsbury のビスケットを出すレストランを開きました。

「人々はそれをとても気に入ってくれました」と、Sanaa は思い出します。「お客様はそれを’ブラウン ブレッド’と呼びましたが、すぐに自分でパン生地を作り始めました。メニューが拡大すると、ブラウン ブレッドは、メニューのなかでも好評の、欠くことのできないものとなりました」

もちろん、それは全ての者へのブラウン ブレッドではありませんでした。実際、ノースダコダ州とサウスダコタ州はアラブ系移民の長い歴史があり、彼らの多くは1890年代にやってきました。当時、その地方は、1864年のホームステッド法により、冬を持ちこたえる意思がある無一文の移民が、160エーカー(65ヘクタール)の土地を無料で受け取ることができる最後の地域となりました。それでも、いくらかのアラブ系移民は、入植者対象に商売をする行商人、’プレーリー ペドラー(草原の行商人)’としてやってきて、最終的には雑貨屋を開く人もいました。事実、レバノン人である両親の店があるインディアン保留地で、Sanaa の夫は生まれました。

Jay Pickthorn
Abourezk は冷凍庫に上等なザアタルを保管していて、しばしば自身の mana'esh を作ります(右)。

「Abnors という、他のアラブ系家族が私たちから1時間離れているところに住んでいて、毎週日曜日には夕食を共にしました」と、上院議員は思い出します。「ニューヨークにある Sahadis から、ザアタルを含む、アラブの食べものを注文し、送ってもらいました。かつて母が野生のものを摘み取っていた葡萄の葉を除いては、私が1番よく覚えているのはザアタルです」

前上院議員は、自分専用のテーブルを Sanaa's に持っています。毎日彼はその場所で見受けられ、またそこは、野心的な政治家および地元のビジネスマンが政治に関するニュースやゴシップを分かち合うために腰を下ろす場所でもあります。スーフォールズのアラブ系社会のメンバーは、自身のザアタルに関する経験と共に立ち寄ります。

「ザアタルは大好きですが、他の子どもが来ているときに、祖母に作ってほしくありませんでした」と、歴史学者であり、ライターでもある Mike Saba は思い出します。彼女の祖父母は入植者でした。「私はザアタルでやや恥ずかしい思いをしました。他の子どもに「あなたが食べているその汚れたパンは何?」と、聞かれたくなかったのです。それは、他の人にとってはそう見えるからです」

Jay Pickthorn
インディアン保留地にある、レバノン系食料品店を経営する移民の息子で、アメリカ合衆国 上院議員であり、1979年に引退した James Abourezk (中央)は、妻のレストランで毎日数時間過ごします。

アラブ諸国から来るスーフォールズ新来者は大抵医者やエンジニアで、いまだにレヴァント地方へ両親や親戚を訪ねに定期的に帰郷します。街に中東系の食料品店がなくても生き延びなければならないので、彼らは皆、ザアタルを持ち帰ります。 レバノン系パレスチナ人であり、Sanaa の親しい友人である Salwa Koutally は、彼女のすでに成人した子ども全員にザアタルを持ち帰ってきました。彼女が mana'esh を作るときは、それをニューヨークにいる息子に、翌日配達便で送ります。スーフォールズに15年住んでいるある医者は、「姉妹を訪ねると、いつもザアタルを私が持って帰れるように準備してくれます」、なぜなら「私の村は上等なザアタルがあるからです」と、説明します。「それは違う」と、他の客が横槍を入れます。「それは私の 村だということは、皆知っています! 」これが最初ではありませんが、その後は、上等なザアタルは何処からくるのかについての、のんきな論争が始まります。

「ザアタルは大変個人的な事柄になる可能性があります」と、Sanaa は微笑みながら言います。「プライベートなものなのです。ある人は自身の隠しワインを持っているでしょうが、私は自分だけのザアタルを持っています」そのレストランのザアタルは、ニューヨークの中東食品納入業者を介してヨルダンから来ます。しかし、彼女の冷凍庫に隠しているビニール袋に入った乾燥したザアタルはシリアの山々から来ます。袋を開けるとすぐ、木のような、また柑橘系の香りがします。ダマスカスからの彼女のお気に入りのザアタル調合のひとつも、冷凍庫に保存されています。アニスの香りは紛れもありません。「ザアタルの何が大好きなのかというと、各調合を独特のものにする思いがけない驚きがあることです」と、Sanaa は言います。「例えば、時々ローズマリー、唐辛子、クミンやフェンネル シードを加える人もいます」

Sanaa は、粉で、ローストしたヒヨコマメが入った母親のザアタルが好きです。「人々は純粋なザアタルを買う余裕がないとき、ヒヨコマメを追加します」と、Sanaa は言います。「実際、ヒヨコマメはタンパク質を追加し、朝食をより栄養価に優れたものにするので、それはいい決断です」

Sanaa の「ブラウン ブレッド」は、今では地元の協同組合で販売されています。「木曜日の午後配達され、金曜日にはなくなってしまいます」と、ストア マネージャーの Molly Langley は言います。「独特で、美味しい選択を探している食通の人にとっての、ステップ アップです」と、彼女は言い足します。Sanaa はザアタルを食卓へ出す方法も作りだしました。金曜日の夜には、「ブラウン ブレッド」をトマト、オニオン、ペッパー ミックスを上にのせ、少し味にアクセントと色を追加します。 fattoush サラダにもザアタルを追加します。「ザアタルは同じピリッとする味を供給し、セサミ シードは触感を与えます」と、彼女は説明します。

レヴァント地方でも、同様の創造性が見られるようになりました。以前は、ザアタルは大抵オリーブ オイルといっしょにディップに使われていましたが、mana'esh に塗ったり、リング状のセサミ ブレッドに 軽くふりかけたりして、通りの行商人によって売られています。今では、ザアタルは mana'esh から飛び降りて、クロワッサンの中や、トーストアーモンドの上へと、ふりかけることのできる様々な場所へと移動しています。アンマンでは、Izhiman、Sufara や大型パン屋の向かいで、パン、ケーキ、クッキーやクラッカーなどオーブンから出てきたものすべてに、ザアタルがのっています。ベイルートでは、高級スーパーマーケットで、ずらりと並んだザアタル入りの製品の拡張を計画しています。

「私が man'oushé についての本を書こうとしていると言った時、私は変わっていると思われましたが、結果は上出来だったと思います。ザアタルは私たちの在り方を写し出しているからです」と、Barbara Massaad は言います。「ザアタルは笑顔をもたらします」

「ザアタルは、地域の重要なアイデンティティです」と、Carol Cherfane は言います。「これは中東アラブの作物です。昨日ベイルート空港で見つけた、これを見てください」。カリカリした歯ごたえの一口珍味の缶詰を差し出しました。ザアタルを使った新しい産物です。いずれにしても、ザアタルは常に空港へ、そして人知の及ばないはるかかなたへ行く方法を見つけるのです。

右: Jay Pickthorn
右:Jay Pickthorn
上、左から右へ:スーフォールズで Sanaa Abourezk が行なっているのと同じく、レバノンの Batloun では、Nabil Kamal Eldin が mana'esh をパン屋のオーブンに入れます。上:Izhiman と他のスパイス ショップでは、ザアタル調合の味見とあつらえの調合を提供しています。Sanaa は人気の「ブラウン ブレッド」をビュフェに加えます。アンマンで売られている Mana'esh(下、左)とスーフォール(下、右)。
右:Jay Pickthorn
Peter Jackson Alia Yunis (www.aliayunis.com) Abu Dhabi を拠点にしているライターで、映画のプロデューサーです。彼女は非常に評価された小説The Night Counter (Random House, 2010)の著者です。
Peter Jackson フォトグラファーとライターである Tor Eigeland (www.toreigeland.com) はSaudi Aramco World での世界各国での業務や、その他の出版社を担っています。また、ナショナル ジオグラフィック ソサエティ ブックに関する10つのプロジェクトに貢献しました。

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--編集部

This article appeared on pages 14-23 of the print edition of Saudi Aramco World.

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